デンキ屋の独語(ひとりがたり)

本業電気屋。趣味や関心のある事についてのひとり語り。あくまで個人の想いであり批評や批判ではありません。

劇場版「鬼滅の刃」無限列車編を語る(3)

TVアニメとしての「鬼滅の刃」の凄さ

私がアニメ版の放送を観たのは原作を2巻まで読んでしばらくしてからだが、失礼ながら原作の事をすっかり忘れていて全くの初見のつもりで観始め、とにかく驚いた。
とにかく初っ端からそのクオリティの高さに度肝を抜かれ、そのまま最後まで目を離せない程に見入ったのを憶えている。
途中でこの原作を読んだ事を思い出したのだが、原作とあまりにイメージが変わっていた事に更に驚いたものだ。
原作にあった怪奇漫画的な色は皆無となり、絵柄もこれまた失礼ながら見違える様に美しい。
主人公の竈門炭治郎も悲壮感はあってもあまり暗いイメージではなくなっていた。

その描かれ方は躍動的で非常に丁寧だ。
3DCGを駆使しながら積極的に背景を動かし、時折炭治郎の視点で見せるジェットコースターの様な奥行きのある画面の動き、そして炭治郎を後ろから追いかけるようなリアルなカメラワークはそれまでのアニメのスタイルとも違う立体感と臨場感を感じさせる。

そしてここで特殊な飛び道具を使わず、剣技で戦う設定が生きてくるのだ。
それはまるで実写作品のような現実感にあふれ、その中で描かれている殺陣シーンにアクションとして、そしてチャンバラ活劇としての迫力とリアル感を感じさせる事が出来るのである。

しかもただ単純に動きが激しいだけでなく、きちんとした殺陣の動きや刀を納める所作等の繊細な描写などもきちんと描く事で、さらなるリアリティを生み出しているのだ。

最近では殺陣の上手い役者がいなくなり観ることの叶わなくなってしまった、私が子供の頃よく観ていた時代劇の迫力のある殺陣シーンである。
そしてそれを見事に再現し、更には実写では表現不可能な速度感やアングルでの表現により、それを上回る見事な作品として仕上がっているのである。
間違いなく、私より上の世代が観ても納得がいく刀によるアクションシーンであると言えよう。

そういった光や煙等の演出や、人の動きといった現実感を大事にした描写とは裏腹に、その構図や炭治郎を始めとする登場人物達の描かれ方はなぜか非常に漫画的だ。

原作でもそうだったが、登場人物達は皆七等身前後で頭が大きめだ。肩幅も狭く、やたらに顔が大きく見える。
そして涙を流すシーンでは大げさな位に大粒の漫画的な涙を流すのだ。

原作漫画では文章での説明で終わらせ、バッサリと切り捨てていたシーン等も、漫画として拾い上げて再現したかのように描写し、言い方は変だがいかにも普通の漫画を読んでいる様な展開を見せる。

戦闘シーンでも、炭治郎の顔のアップから画面奥の敵に向かっていく奥行きのある視点で描かれる所など、いかにも漫画的な構図で表現しているのだ。
これもまた原作では描かれなかった細部の攻防もきちんと描かれ、シーンのどの部分を切り取っても漫画として成立するような完成度を見せるのである。

ここでまた凄いと感じるのは、漫画として一枚絵としては描けても、それをその迫力のまま動かすというアニメではなかなか再現出来ないような難易度の高い表現である。

それらを可能にする手描きのクオリティの高さとそれに合わせて背景に動きをつける3DCGの見事な融合、そして火花や光の効果的な使い方といった制作会社ufotableの技術力の高さを実感させられるのだ。

原作で展開していた静止画面による日本画を思わせる独特の雰囲気も、それに変わる手段として3DCGを駆使した呼吸の描写と、刀から吹き出す浮世絵に描かれる波の様に、そしていかにもアニメ的な水の描写によって日本的な雰囲気を醸し出す事に成功しているのだ。

動きや細かい所作等の実写の様なリアル感を見事に表現しながらも、アングルやキャラ等の原作以上に漫画的な画面構成と誇張表現、更にいかにもアニメ的なエフェクトを絶妙に取り入れている。
それらがこの作品はあくまでもアニメーションであり、それも漫画を原作とした作品であるという事を強調している様に思えるのだ。

前回も触れたが、この作品はアニメ化に向いている要素がいくつかあり、実際アニメ化された事で原作では活かしきれていなかった売れ筋の要素が生きてくる様になった。
わかり易いのが画面の色彩による全体の雰囲気だ。
基本モノトーンで暗いイメージばかりが先行していた原作も、常時カラー画面となることで炭治郎達の半纏の派手な色合いが目立つようになる。
黒い隊服の上に半纏という出で立ちが各キャラクターの明確な色分けとして有効に作用し、柱たちの奇抜なスタイルもアニメ的な派手さとして活きてくるのである。
そしてそれらの色彩が戦闘シーンでの暗闇ばかりの景色の中で実に良く映えるのだ。
先の剣技で見られる水の表現もコントラストがはっきりしており非常に美しい。

アニメでその凄みが最も顕著に表現されたのは吾妻善逸の雷の呼吸「霹靂一閃」であろう。
原作では足を引いた姿勢からの瞬間移動の様な表現であったが、アニメでは足を引く動作も細く表現され、敵の攻撃をかわし、一度体勢が崩れても再度間合いを取り直すという、いかにもその技しか無い事が強調される。
そしてそこからのスピード感や技の迫力は原作を遥かにしのぎ、その特徴をいかんなく発揮するのだ。

原作ではあまり漫画らしくなかったモノローグの多さも、アニメでセリフとして語られる分には何ら違和感もなく、攻防のわかりやすさや炭治郎の臨場感のある心情描写という原作の良さをより上手く表現できるようになるのである。

この作品に限ったものではないが、アニメ化して活きてくるのがアクションシーンで流れるBGM等の音楽との相性だ。
特にこの作品は戦闘シーンも多く、盛り上げる音楽が見事に画面に合っていた。

内容には直接関係はないが、挿入歌や主題歌の使い方の上手さについても少し語っておきたい。

最近、アニメの主題歌は1クールで代わるのが主流だ。
確かに、タイアップ曲は少しでも多い方が商売としては有効なのだろう。だがその分作品を代表する顔としての印象は薄くなるのは間違いない。
どれ程良い楽曲でも、耳に馴染む頃にはガラッと印象の違う別の曲に変わってしまってはイメージとしては定着しないのは当然だ。
この「鬼滅の刃」ではオープニング、エンディング共に2クール変更することなく流れ続けた事により、しっかりと作品の顔として定着する事に成功した。
今回の主題歌「紅蓮華」の大ヒットはやはりシリーズを通して流れ続けたことが非常に大きいと思うのだ。

因みにオープニングテーマである「紅蓮華」、勿論素晴らしい名曲であることは間違いないが、個人的には「鬼滅の刃」の世界観を表現しているとは言い切れないかなあと思っている。
この曲には作品独特の切なさの様な雰囲気を感じないのだ。
そういう意味では同じアップテンポの曲でもエンディングである「from the edge」の方がより主題歌としてはふさわしいかなとは思うのだ。

そしてやはり使い方が光ったのが挿入歌である「竈門炭治郎の歌」であろう。

正に炭治郎の悲哀を見事に表現した曲と歌詞であり、鬼である累に放つヒノカミの呼吸からのエンディングに繋がる盛り上がりと引きの場面に見事に合致した曲であった。

アニメとしての確かな技術と漫画の表現を生かした作品作りで原作の良い部分を最大限に引き出し、原作で描ききれなかった隙間を見事に埋めながら重厚な物語を作り上げる事に見事に成功している。
原作自体に様々なアクションや描写を盛り込める余白というか、懐があるからこそアニメ制作会社の力量が充分発揮出来たと言えるが、原作漫画の荒い線のタッチや落書きの様なギャグシーンの雰囲気まで頑張って再現し、原作をきちんとリスペクトした姿勢に非常に好感が持てる作品として仕上がっているのである。