デンキ屋の独語(ひとりがたり)

本業電気屋。趣味や関心のある事についてのひとり語り。あくまで個人の想いであり批評や批判ではありません。

劇場版「鬼滅の刃」無限列車編を語る(1)

この異常な熱狂ぶりは?

鬼滅の刃」が凄いことになっている。
再放送から火が付き様々な商品とコラボ、そして劇場版が封切られてからは興行収入の記録更新だの何だのと連日報道され、総理大臣まで「全集中」のセリフを引用するなど、正直私としてはドン引きする位のフィーバーぶりである。

先に断っておくがこの作品のクオリティは本当に素晴らしいのだ。
私自身は2019年4月の本放送から毎週視聴していたのだが、これ程毎回食い入る様に観たTVアニメは本当に珍しい。
勿論アニメファンの間では評価は高かった筈だが、私としては放送当時もっと話題になっても良さそうなものだと思っていたのである。

ただ以前にも語った通り、本来は作品が完結するまでは評価するべきではない、と私は思っている。
どれ程途中まで良く出来た内容であったとしても、最終話で全てをぶち壊してしまう可能性はあるというのがその理由だ。

ましてやこの「鬼滅の刃」は原作は完結したものの、アニメは今回の劇場版を含めてもまだ折り返しにすら掛かっていないのだ。

私はまだ原作自体アニメで観た部分、つまり8巻までしか読んでいない。
アニメの面白さを損ないたくなかったので、敢えてまだ読むの我慢しているのだ。
なので現時点ではまだこの作品を語るつもりも資格もなかったのだが、TVでのあまりに奇妙な取り上げ方とコメンテーターのペラッペラな解説を聴くにつけ、このままでは一過性のブームで終わってしまうのではないかと少々不安になってしまったので今回取り上げる事にしたのである。

この作品は一過性で終わるような半端な出来では無い事もわかっている。
ただこの異常な熱狂ぶりの理由と共にもうひとつ感じていた点があるので現時点での感想を私なりの視点で語っておきたい。

全てはタイミングなのか

内容やクオリティについての話はとりあえず置いておくが、この異常な盛り上がりの要因のひとつはやはりタイミングががっちりと噛み合ったことが大きい。

元々再放送から女性層を中心に人気が出始めていた事はTV等で話題になっていたが、同時に様々な商品とのコラボでコンビニなどでキャラが目に付き始め、一般層にもこういうアニメ作品がある事が認知されていた頃のコロナ騒動である。

コロナによる活動自粛で時間を持て余していた人達が話題になっているからと言う事で動画配信サービスで全話一気見するなどして、くすぶっていた人気が爆発したのである。

特にこの作品は独占配信ではなく、様々な配信サービスで提供されていた事も気軽に楽しめる要因となり、実にとっつきやすかった。
更にはまだ2クールという手頃な長さという事も大きかったのではないだろうか。あまりに長いと最初から見始めるのにハードルが高くなるので、飽きる事無く一気に見るには丁度良かった長さだと思う。

今回の劇場版にしても、公開時期等のタイミングが実に良かったのではないだろうか。

普通に考えれば人気が出てから映画化決定の流れなので、通常ならばもう1年位先の話であろう。
鬼滅人気が盛り上がり、充分浸透した中での早すぎず遅すぎずという実に絶妙なタイミングでの公開であったと言える。

しかもまたこのコロナ渦の影響下である。
洋画等の話題作は軒並み上映延期や中止となり、はっきり言ってしまえば他にこれといった選択肢が無い状況であった。

映画館側としても数少ない選択肢の中で話題性のあったこの作品はイベントとしてはもってこいのタイミングだったはずである。
相変わらず自粛ムード漂う中、中々他に娯楽のない状態でストレスの捌け口が一気に流れ込んだ形になってしまったのだ。

もうこうなってしまうと完全にブームに乗ってしまった形である。
話題性で試しに観る人達も増え、これまで現在の高レベルなアニメ作品に触れる機会のなかった人達にとってはさぞや衝撃的であったであろう。
このアニメは面白いと堂々と言えるようになった隠れファン達もその波に乗ってしまった感がある。

まあその辺の事情は他の情報源からでも解るので本当は敢えて語るところでもないとは思うが、多分に幸運が重なった故の盛り上がりであるのは確かだ、ということである。

繰り返し断っておくが、この作品のクオリティは本当に素晴らしいのだ。

ただタイミングが良かっただけの幸運でこれだけのヒットになる筈がない。
仮に今回の様な特殊な事情が無くともそれだけの興行収入が上がるだけの実力は充分にあると思うし、TVシリーズのレベルの高さを語りたかった私としては皆が評価してくれる事は大変喜ばしいことなのである。

だが正直な所、過去の大ヒットしたアニメ映画作品の記録を突破する程の作品なのか?と問われればそれは少々考えてしまう。
出来栄えが云々というよりは映画としてのスタンスが少し違うと思うのだ。

本来この映画自体は先に語った「メイドインアビス」や「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」同様に、TVシリーズの続きとして制作されたものだ。
しかも物語がこの劇場版で完結するという訳でもなく、それどころか重要なエピソードではあるものの、ストーリーの節目ですらない。

更に言うと、きちんと映画単体としての体裁を整えた「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」に比べ、TVシリーズを観ていなければ全く背景が解らない作りであるこの作品は、単体の映画としてはなんとも不完全な作品であると言えるのだ。

これが最初から劇場版用のシリーズとして制作されたのであれば、海外の「アベンジャーズ」や「ハリーポッター」シリーズの様な展開の仕方として理解も出来る。

だが、今回の様にTVシリーズからの続編というのは言わばアニメファンのイベント的な要素が強い。
それが「アナと雪の女王」や「君の名は。」の様な単体の映画として勝負する作品と同じ土俵で比べて良いのか疑問に感じてしまうのだ。
「煉獄さんを300億の男にしよう」等といった組織票集めとも言える書込みの記事を読むと、いかにもなアニメファンのイベント感が満載でなんとも微妙な気持ちになるのは自分だけだろうか。(勿論、そんなものが影響したとは思わないが)

何故ここで「鬼滅の刃」なのか

ただ、単純にタイミングが良く、幸運が重なったというだけならば他の作品、例えば先程から取り上げている「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」も状況は似たようなものの筈だ。
作品のクオリティ自体はどちらも甲乙付けがたいと思う。
では何故、「鬼滅の刃」にこれ程人気が集中したのだろうか。

そこに、この作品にこれまでのTVシリーズアニメの映画化とは違う匂いを感じるのである。

私は業界の事情は全くわからないのでこれはあくまでも私の推測だが、この「鬼滅の刃」という作品は商業的な戦略が実に上手く、そもそも売る事を前提にTVシリーズの段階から劇場版制作も含めた戦略を立てて制作されていたのではないか、と思うのだ。

これまでのTVシリーズのアニメが映画化される経緯といえば、基本的には原作が元々ヒット作でアニメ化の時点である程度の話題性がある場合か、TVシリーズが話題になり、放映後に人気に後押しされる形で劇場版が制作される場合が大半だ。
どちらの場合も通常は本筋にない番外編的なストーリーだったり、総集編もしくはリメイクされる場合が殆どであり、正にアニメファン向けのイベント的な作品である。

TVシリーズの続編、もしくは完結編の様な映画化はここ数年の傾向ではあるが、それでも本放送の反響次第でTVでやるのか映画として制作するのかが決まるはずなので、そこからスタッフを集めたりといった様々な調整のために劇場版が制作されるまではそれなりの時間が必要なはずだ。
例えば先の「メイドインアビス」や「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」では本放送から劇場版まで2年程かかっている。

ところが「鬼滅の刃」の場合、2019年の4月から2クール放送後、2020年の10月には劇場版の公開である。
恐らくTVシリーズの制作直後には映画化に向けて準備が始まっているはずで、かなり早いタイミングで映画化が決定していた事になる。

勿論漫画原作であるし、それなりの話題作なのは確かだが、原作自体は正直それ程の大人気作というわけでもなかったはずだ。
TVシリーズの人気自体も本格的に巷で騒がれだしたのは本放送終了後からなので、この劇場版制作の決定は異常に早い、というより最初から劇場版も視野に入れていた、と思うのが自然ではないだろうか。

更には映画公開までの宣伝活動という点でも積極的な戦略が見て取れる。
通常アニメ作品といえば放送局や配信サービスが権利を持っていて独占放送となる場合が大半である。
ましてやこれだけクオリティの高い作品となれば抱え込まれてなかなか余所のサービスでは観られないものである。
ところがこの作品はほぼどのサービスでも視聴することが可能で、更にはTVでも元々MXで放送されていたものが総集編をフジテレビ系列で放送するなど、かなり露出が多い印象を受ける。
とにかく多くの視聴者に観てもらうことを強く意識した展開となっているのだ。
それに様々な商品とのコラボ、特にコンビニ系列で展開される商品でのコラボに積極的で、アニメ作品を知らない人達にも目に付きやすい状況であった事も後の視聴者獲得のための戦略とも言えるのである。
結果的には映画公開までの間、実に様々な宣伝活動が功を奏した形となったわけだ。

そしてこれも私が戦略として感じた部分だが、この作品はこれまでの映画化されたアニメ作品と比べても、原作の選び方が実に絶妙だという事だ。

過去の漫画原作のアニメ化作品は原作自体が皆少なからずアニメファン向けの内容であり、現実離れした世界観の物語、言ってしまえばヲタク向けの要素が強いものが多い。
ターゲットも当然の様に若年層がメインであり、逆に言えばそれ以外の客層はあまり眼中にない作品が実に多かった。
もうひとつはドラえもんクレヨンしんちゃんプリキュア等の完全な子供向けの作品で、大人は基本的に付き添いである。内容としては大人が観ても楽しめる内容であることが多い良質な作品ではあるが、では大人がひとりで行けるかと言われると流石に難しいのではないだろうか。

ジブリやディズニー、ピクサー作品等の大人でも見れる作品であっても基本的には家族向け、特に子供向けの純粋で毒の無い作品であり、一般の大人向けとは言い難いのが実態だ。

この「鬼滅の刃」もメインターゲットこそアニメファンであり若年層向けである事自体は変わらないし、一見すると現実離れしたアニメ作品らしい世界観には見える。

だが、細かい内容を見てみるとヲタク要素は実は意外な程少ないのだ。
言ってみれば一般向けの作品を強く意識した内容と言えるのである。

例えば、この作品のターゲットとなり得る客層の幅は非常に広い。

映画単体では設定そのものが説明不足ではあったものの、ストーリーそのものはいたってシンプルでわかりやすい。
事情が全く解らずに途中から見始めた人でも、大体悪い鬼を退治しにいく主人公達の物語であることはすぐに理解できる。

主人公達は普通の人間であり、特殊能力がある訳でも強烈な武器がある訳でもない。それどころか飛び道具の類いすらないのだ。
特殊能力を持つのは鬼側のみで、それに対抗するために技を磨き、あくまでも人間本来の力、しかも基本的には刀のみで闘うのである。
鬼という非現実的な存在をモチーフに選びながらも、感情移入すべき主人公側はあまり現実離れした描写がなく、かなりリアルに描かれているのだ。

内容としてはかなり残酷な描写があるにはあるが、これもまた人間側のリアルを強調する役割と鬼側の非道さ、そしてその鬼を狩る主人公の正当性を示す役割を果たしている。

更には、主人公の竈門炭治郎は勿論、人間側のキャラクター達は多少曲者揃いではあるけれども基本的には皆「純粋であり良い人」だ。
しかも、キャラデザイン的にも主人公を含めかわいい顔はしているが、最近ありがちな美少年という訳では無い。
最もそれらしいキャラの水柱、冨岡義勇にしても顔は綺麗だがすらりとした長身と言う訳でもなく、かなり日本人的な体型である。

これらのいかにも万人向けで日本人的なキャラクターが刀を振るい迫力のあるリアルな剣技で敵と闘うのだ。
キャラのセリフも「全集中」「水の呼吸、壱の型」「猪突猛進」等の単純明快で特徴的な技名や決めゼリフと何処か歌舞伎や時代劇の様な芝居がかった台詞回しが耳に残りやすく、子供にも真似しやすい上大人にも耳馴染みのある言葉で親しみやすい。

これは今までにはあまりなかった事だが、アニメに興味の無い年配の人にでも時代劇の様なチャンバラアクションとして充分に楽しめる内容なのである。

それは子供連れ、もしくは孫と一緒に観に行け、しかも年配の人にも飽きずに観る事ができるという事であり、例えば「アナと雪の女王」ではただの付き添いにしかならないはずの高齢者でも楽しめるという事だ。

因みに、私が映画を観に行ったのは平日の朝だったのだが、年配の客層が数人、単独で観に来てたのを見かけて意外に思ったものだ。
だがよく考えてみれば最近では迫力のある殺陣を見せる時代劇を見る機会はすっかり無くなってしまったので、私自身子供の頃見ていた面白い時代劇の雰囲気をアニメとはいえこれ程味わえた作品自体久し振りだったのを思い出したのである。
もしかするとこれは凄く画期的な事だったのではないだろうか。

ではヲタク的要素の方はどうか、というとこれもまた実に戦略的なものを感じるのだ。

キャラクター達は中身の純粋さはともかく、見た目はかなり奇抜で特徴的だ。

主人公である竈門炭治郎からして緑と黒の市松模様の半纏に花札風の耳飾りというひと目でそれとわかる出で立ちである。
他のキャラクター達もそうだが、アイテムが派手でしかもシンプルだ。
それは素人でもイラストやアクセサリー等の二次的なものが作りやすいという事であり、キャラ弁やマスコットの素材として使いやすい。
しかもむさ苦しい大男からかわいい女の子まで様々なキャラのふり幅も大きいのでコスプレがやりやすいのだ。
ヲタク系コスプレイヤーだけでなく、小さな女の子でも魔法少女よろしくコスプレ出来るので家族でコスプレ、といったヲタク遊びも出来るのである。

どうだろうか、売れ筋となる要素がこれだけ偶然揃うとは考え難いのではないだろうか。

特にアニメファン層から一般層、小さい子供から年配の人にもアピールできるこの間口の広さは今までのアニメ作品にはなかった事であり、商業的には絶対欠かせない要素である。

しかも、これらの要素を包括的に取り込める様な設定の原作というのはなかなか難しいのではないだろうか。

つまり原作を選ぶ段階からそういった戦略の元にこの作品が選ばれ、制作されたのではないか、というのが私の推測である。

勿論、アニメ化作品の殆どは商業的な何らかの戦略の元に制作されているのは確かだ。それに売れ筋の要因があるからと言って必ず売れる訳では無い。
だが、この作品はそういった戦略に則った上でしっかりとした作品作りに対する真摯な姿勢が感じられるのだ。

それらの内容については次回語りたいと思うが、これだけは言っておきたい。

売れた理由について、やれ単純な勧善懲悪ではなく鬼の側にも事情がある所が凄いだの、鬼を倒すのではなく、鬼になった妹を人間に戻す為に戦う主人公の姿が魅力だのとTV等でのたまっている人達がいたが、今時勧善懲悪だけの話など日本のアニメでは逆に珍しいのだ。

鬼達の事情も、妹である禰豆子の存在も主人公竈門炭治郎の純粋で優しい性格を強調する為のものであり、それでも鬼と闘わなければならない理由付けに過ぎない、と言えるのである。
つまり数ある演出のひとつであり、説得力のある話となった事は確かだが、それが売れた理由という訳ではない、という事だ。

今までのアニメ作品とは作りが違うからとか、特殊な理由をつけたがるのもわかるが、売れた理由は明白である。

単純に最高に面白く仕上がっているから。

作品が売れる理由は皆それに尽きると思うのだ。