デンキ屋の独語(ひとりがたり)

本業電気屋。趣味や関心のある事についてのひとり語り。あくまで個人の想いであり批評や批判ではありません。

本質は異世界あるあるコメディ?「葬送のフリーレン」を語る

正直意外な大賞受賞

週間少年サンデーで連載中の「葬送のフリーレン」(原作 山田鐘人、作画 アベツカサ)が漫画大賞2021で大賞を取ったという記事を読んだ。
ここ最近のサンデーの連載陣の中で注目していたのが「龍と苺」と、この「葬送のフリーレン」だったので大賞を取ったというのは納得すると同時に正直意外ではあった。
というのも私自身は大変評価はしていたものの、これほど地味な作品(と私は思っていた)が大賞を取るほど他に評価されているとは思わなかったからだ。

話題になっていたので内容については知っている人も多いだろうが、簡単に触れておくと勇者パーティーが魔王を倒した後の世界の物語である。

主人公であり、勇者パーティーの魔法使いであったフリーレンは見た目は少女ながら千年の時を生きる長命種であるエルフだ。
魔王討伐の為に勇者パーティーと共に旅した10年間は彼女にとってはごく僅かな期間の出来事であったが、50年後にその勇者も老齢で亡くなり、葬儀の際に彼の事をあまりにも知らなかったという事実に気付く。

人間が短命であることを知りながらその時間を大切にしなかった事を後悔した彼女は、勇者の魂と語ることのできる地を求めて人間を知る旅に出る、といった内容が一応の本筋である。

これだけ聞くとかなり壮大な物語のように思えるが、実際には主人公達の日々の生活や旅の中での些細な出来事が延々と綴られる、言わば旅日記と呼ばれる方がしっくりとくる内容だ。

先に語った通り魔王が討伐されて数十年後の世界の話である。
魔族やモンスターとの戦い自体がなくなった訳では無いし、未だ魔王軍との戦いの傷跡が完全に癒えたわけでも無いが、それでも人々は平和と言えるような日常を取り戻している。

特に世界を揺るがすような大事件も災害や戦争等の混乱があるわけでもなく、地方の一般市民達はいたってのんびりと暮らしており、魔王の驚異と勇者の功績も憶えているのは最早当時を知る老人達だけとなりつつあるのがその舞台なのだ。

そんな日常の中、フリーレンは元勇者パーティーの仲間から面倒を見るように頼まれた彼等の弟子である魔法使いの少女フェルンと戦士の少年シュタルクと共に勇者一行の足跡や思い出を辿る旅を続ける。
ただ、一応の目的があるとはいえ旅自体は流れで目的地を決める行き当たりばったりなものだ。
それも序盤では1か所に数ヶ月、へたすれば数年とどまることもあるような旅であり、物語として特に大きな盛り上がりがあるわけもない。只々行く先々で出会う人達と交流しながら進む他愛もない日常が淡々と描かれるのである。

正直、表面的にはこれほど話に抑揚の無い作品が一般に評価されるとは私には思えなかった。
いつ打ち切られるのではないかとヒヤヒヤしながら連載を見守っていたくらいだったのだ。

ともかく、大賞を取ったということで意外な程評価が高かった事に驚かされたが、それ以上に紹介される評価の内容がリアルな描写の感動的な物語、という感のものが多かったのも私にとってはこれまた意外であった。

意外に感じた理由は後にするが、リアルな描写が素晴らしいことは確かだ。

作画は非常に写実的な画風で細かく描き込まれており、非常にレベルが高い。
更に付け加えておきたい作画の特徴が、漫画らしい表現が殆ど見られないという点だ。

漫画である以上、どれ程リアルな画風であってもある程度の誇張はあるものだ。キャラの目が大きくキラキラしていたり、奥行きを出すために手前に突き出した手が異常に大きく描かれたり、といった表現するのは言わば当たり前の手法だし、心象を表現するために背景が真っ黒になったり雷が走ったりといった描かれ方も大抵はあるものだ。
勿論、この作品でもそういった表現が無いわけではないのだが本当に最小限と言えるほど少ないのだ。
流石に主人公達の顔は皆美型であり漫画的ではあるものの、その目は限界と言えるほど小さく描かれている。
その他の漫画的な描写もギャグシーンで若干顔が簡略化される程度で、シリアスなシーンでは見せ場と呼べる場面ですら臨場感を出すための効果表現が無いのだ。
それどころかアクションシーンでも動きを表わす効果線の類も最小限であり、その場を切り取った静止画の連続で作品全体が構成されているのである。

そうかと言って臨場感がないわけではない。
何気なく髪がなびいているカットで空気の動きを表現し、コマの中の人物の配置や画面構成で心理描写を表現したりと敢えて難しい手法で静止画でありながら映画のようなリアルな世界観を醸し出しているのだ。

さて、肝心な物語についてだが、この作品の特徴でありベースになるのが主人公フリーレンのエルフとしての時間感覚や独特の視点で描かれる人間とのギャップの面白さだ。

先に書いたとおり、千年の長い時を生きるエルフであるフリーレンにとって、50年位はほんの少しの間である。
だがそれは人間にとっては頭ではわかっていても非常に理解し難い感覚だ。そこがこの物語の根幹であることなのだが、その感覚のズレは生活の様々な部分に影響を及ぼすことになる。

元パーティー仲間の僧侶ハイターから依頼された魔導書の解読に数年をかけたり(実際にはそれは口実で弟子の修行がメインだったが)勇者ヒンメルの思い出の花を捜すという目的のためだけに雪山で立ち往生して春になるのを待つなど、些細な理由での半年や数年のタイムロスは全く意に介さないのだ。
フリーレンにとってはほんの少し、といった日数も人間であるフェルンやシュタルクにしてみれば耐え難い長期間。そのヤキモキする感じが面白さにつながるのである。

この作品の評価すべき点は長命種であるエルフの感覚を実に良く表現しているところであろう。

過去にも異世界を舞台にした漫画や小説において、度々エルフは登場し悠久の時を生きる存在である事が説明される。
だが、基本的には人間側の視点から見た存在として描かれる事が多く、ただ長寿というだけで普通の人間と同様な時間感覚でしか捉えていない場合が殆どなのだ。

最近ではライトノベルゴブリンスレイヤー」でエルフの時間感覚のずれについての描写が比較的リアルに描かれてはいるが、それでも主人公クラスである妖精弓手はエルフの中では変わり者という設定ではあるものの、かなり普通の人間の感覚に近い。

高橋留美子の「人魚シリーズ」や畑健二郎の「トニカクカワイイ」のような、人間の時間感覚のまま不老不死となった悲哀を描くのとは違い、最初から長寿である事が当然である種族がどういう感覚でどういう性格になるのかを実に上手く表現しているのである。

そうした時間感覚のギャップの面白さと共に、時間に囚われないエルフならではの老いと時間の流れを主軸にした様々なエピソードと、ひとつひとつの物事にじっくりと時間をかけ、その結果得られるささやかな成果に一喜一憂することの素晴らしさ。
そしてその時は気付かず、後から知った自分にかけられた愛情と想いの深さ。
そんなどちらかと言えば他愛も無いとすら思えるストーリーにじんわりとした、そして重厚な感動を味わえるのである。

最近何かとせわしなく、大きな成果ばかりを求める現代人の我々にもう少し足元を見据える余裕があっても良いのでは?と語りかけてくるようだ。

最近流行りの異世界スローライフ物と呼べるジャンルも、テーマとしては同じようなものだ。
だが、この作品では安易に最強、不老不死、能力を活かして気楽に生きるといった方向には走らない。
長いとは言え有限の命であり、死の危険やままならない状況で懸命に生きながらもそこにささやかな幸せを見出すところにこの物語の面白さがあるのである。

異世界あるあるのハートフルラブコメ

さて、ここまで感動的な部分だけを拾い出してきた訳だが、確かにここまで読めば巷の評価も納得という所だろう。

だが、これこそ私が意外と感じていた部分なのだ。
実は私自身は全く逆の見方をしていた。
確かにそういった感動的物語もありはしたものの、最初からこの作品はリアルな画風のギャグ漫画という認識で読んでいたのだ。

というのも、作品の中で描かれている事の大半は周りに振り回されるフリーレン一行の一コマ漫画とも言えるシーンばかりであり、派手なデフォルメが無い分逆に現代のコメディドラマの様な面白さの連続であるからだ。
毎度ミミックのトラップに引っ掛かり暗いよー狭いよーと叫ぶフリーレンの姿はお約束のギャグであり、毎度それを読みながらくすりとさせられていたのである。

実際読んだ人には、この作品での異世界描写や魔法戦の描写のあまりのリアルさにどこがギャグなんだ?と反論されそうだ。

だが私はそのリアルな描写こそ、最近流行りの軽い雰囲気で描かれている異世界物と呼ばれる作品群へのアンチテーゼであり、それ自体が壮大なギャグであると捉えていたのである。

例えば先程から挙げている長命種の時間感覚についての描写について他の作品での長寿なキャラではこれほどリアルに描かれることはない。

また、敵との魔法戦の描写においても他の作品のような最強の攻撃魔法が乱発され無双する事などないのだ。

実戦では防御と一般攻撃魔法をいかに速く出せるかで決まる事や、いかに普段魔力を隠し、強さを悟らせない様にする事が生き残る術である事、更には伝説の最強魔法がいつまでも最強なわけではなく、日々進化し対策も立てられる事等、魔法が必ずしも万能という訳ではないことを実にリアルに描写している。

勇者ヒンメルが持っていたのが伝説の聖剣ではないことを始め伝説は装飾される物だと言ってみたり、言葉が通じるからと言って魔族と人間が心を通わせるなどという事はそれこそ絵空事であるとフリーレンが冷たく断じるエピソードがあったりと、異世界物にありがちなストーリーや設定をことごとく否定して見せるのである。

まるでもし異世界が本当にあるならそんな風にはならないでしょ?と言わんばかりの、言ってみれば異世界あるあるネタを大真面目なふりをして描いている所にこの作品の最大の面白さがあると私は思うのだ。

更に言えば、そこかしこに描かれるギャグシーンは明らかにサンデー伝統の、もっと言えば高橋留美子作品のギャグのパターンの影響が見て取れる。
一見動きのない中の独特の間の取り方や、かわいい絵柄で大真面目にギャグを展開するところなどはその方向での作品作りを目指してるように思えるのである。

もうひとつ、あまりにもそれらしい描写が少ないので実に分かり難いが、ヒンメルのフリーレンに対する想い、逆にフリーレン自身も気付いていないであろう彼女のヒンメルに対する想い、そしてもう一組のフェルンとシュタルクのお互いを想い合う部分の描写等は結構ベタなラブコメパターンを踏襲していると思うのだがどうだろうか。
勿論、好きだと言う事もそれどころか頬を赤らめたり視線を交わすことすらなかなかしない。
実にさり気なく、目立たない様にそういったシーンを垣間見せてくれるのだ。

子供だったフェルンが成長していく様子が描かれている所を考えれば、今後フェルンとシュタルクが結婚し、子供が産まれるといった可能性は充分にある。
数十年後、老齢になった2人の子供や孫とフリーレンが旅を続ける、という展開もあながち有り得ない話ではないので、もしそうなれば実に壮大な異世界あるあるラブコメマンガになるのではないか?等と妄想するのだ。

今の所「葬送のフリーレン」が映像化されるという話は聞かないが、正直アニメ化は難しいのではないだろうかと私は思っている。
派手なシーンも無いし、なによりこの漫画独特のテンポを表現するのは向かない様に思うのだ。

それよりむしろ、ハリウッドで実写ドラマ化した方がヒューマンドラマとしての可能性を感じるのだが。
いや、もし日本で作るのならば「Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀」の様な人形劇の方がむしろ作品の雰囲気が上手く表現できるのではないだろうか。
そんな想像を膨らませながらフリーレンがミミックに引っ掛かるシーンを楽しみにしているのである。