デンキ屋の独語(ひとりがたり)

本業電気屋。趣味や関心のある事についてのひとり語り。あくまで個人の想いであり批評や批判ではありません。

「君はどう生きるか」は今、観るべきか

宮「﨑」 駿の「君はどう生きるか」

「君はどう生きるか」を観てきた。

宮﨑駿(今回「さき」の漢字は「崎」ではなく「﨑」の方らしい)の今度こそ最後の作品では?とも言われる作品だ。
今回は内容については殆ど触れていない。この作品の特殊な状況についてのみ語りたいと思う。

全く情報が無いという状況

今回、「君はどう生きるか」はほぼ情報を公開しないという非常に特殊な宣伝方法で封切られた。
タイトルと登場人物のひとりと思われるキャラクターのポスター以外は全く事前情報が無く、ストーリーは勿論、登場人物も時代背景も、どのようなジャンルの作品かすらも不明という徹底ぶりだ。
パンフレットすらも公開後販売予定ということで、この説明の取り方次第では公開終了まで販売しないかもしれないというのだから恐れ入る。

確かに宮﨑駿の作品だからこそ出来た事ではあるが、これは非常に勇気のいることだ。送り手側にとっても、そして受け手である我々にとってもだ。

宣伝という情報の重要性

よくよく考えるとこれ程映画を観に行く為の判断材料が全く無い状況というのは私自身初めてではないだろうか。
あまりにそれが普通だったので気が付かなかったが、宣伝や雑誌の記事等で得る情報は映画を観に行くかどうかを判断するのに非常に重要なのだ。
時折内容については秘密にするなどの戦略も見かけるが、それでも登場人物や世界観などの最低限の情報はあるはずなのである。

前情報が皆無と言われた「THE FIRST SLAM DUNK」ですら映像の一部は予告で流れた訳だし、どちらにしろそれが昔の「TVアニメ•スラムダンク」の続編の映画化だと言う情報があれば判断材料には充分だ。
深海誠監督「君の名は。」は予告編が非常に良く出来ており、まだメジャーにはなり切れていなかった深海誠作品に関心を示すには充分なインパクトがあったのではないだろうか。
私もこの予告編が観に行くきっかけだった。宣伝の効果が大ヒットに繋がった良い例ではないかと思う。

スタジオジブリの作品に限らず、現在の邦画作品は様々なスポンサーの都合もありそれこそ必要以上に予告編や宣伝等で散々煽って集客しようと必死なアピールをするのが当然となっている。
過剰な宣伝に辟易し、浅ましいとは思う反面私もそれで気持ちを盛り上げてもらわなければ観に行く気持ちにはならない作品もあるし、宣伝に力が入っているおかげで作品にお墨付きがあるような気がして(実際に価値があるかどうかはともかく)安心して観に行けるという側面もある。
それ程宣伝というものは我々の価値観に影響を与えるという事を改めて感じたのだ。

だが今回はそういった過剰な宣伝は別にしても、通常はポスター位には作品を象徴するメッセージや世界観を感じさせるイメージ画はあるはずで、昔はポスター1枚から映画の内容を想像する楽しみもあったはずなのだ。
それすらもない状況では作品に対する興味自体が湧きにくい。ただ宮﨑駿の作品という事だけで映画を観に行こうという気持ちを奮い立たせるのは非常に難しかったのだ。

たかが映画一本観に行くのに何を大袈裟な、と思う人もいるだろうが、映画は映画館で観る派の私であっても実際に映画館に足を運ぶのは容易ではない。
映画館料金は外での娯楽としては妥当なのかもしれないが、少し待てば自宅でBlu-rayや動画配信で安価に観る事が出来ることを考えれば案外割高なイメージなのだ。
それに最近の作品は2時間超えの作品が多く仕事帰りに観るのも難しくなってきているし、時間が合わなければ休日が映画だけで終わってしまう場合もある。

つまりは現在では余程強く映画を観に行きたいと思わなければ叶わない贅沢な趣味だと言えるのだ。

実際私もどうしても決心がつかず、結局は岡田斗司夫氏のYouTube(勿論ネタバレ無しの無料のやつだ)で背中を押してもらう形でようやく観ることにしたのである。

もし観に行くか迷っているのなら

今回実際に観に行って思ったのは非常に説明の難しい作品だということだ。詳しくは次回以降に出来るだけネタバレしないように感想中心で語りたいが、とりあえずもし観に行くかどうか迷っているのなら先に言っておきたい。

観終わって面白かったと思えるかどうかは保証出来ないが、少なくとも今すぐ観ておく価値のある作品だと思う。

そして、もし観に行くならば極力情報のない状態で観る事をおすすめしたい。

評論家でもない限り前情報のない作品を観るという経験はなかなか出来ない。
ましてやジブリの作品ともなればこのような全く情報のない状態で映画を観る機会は恐らく二度と訪れないであろう。
そしてこの作品に関して言えばこの状況で観ないと感じることの出来ない新鮮な感慨を私自身は感じたのである。
仮に後からソフト化や配信等で観るとしてもその頃には少なからず情報は入ってくるため、今観る以外にこれ程の感慨は味わえないのではないかと思うのだ。

賛否が極端に分かれる理由

宣伝が無かった割には好発進とのことでそこは流石だとは思うが、その評価はすごく良い作品だと言う意見と、意味が解らないとか宮﨑駿らしくないといった意見と賛否が極端に割れているらしい。
それを見て余計に観に行くかどうか迷う人もいるのではないだろうか。

ただ、私はそれもまた情報のない作品だからこその評価の一つだと思っている。実際に観てみると非難している人の言いたい事もよく分かるし、そういう面は確かにあるとは思うのだ。

だが、それは以前の作品、例えば「千と千尋の神隠し」にも言える事では無かっただろうか。
この作品も非常に難解な話で意味が分かり難いし、「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」に較べれば「宮崎」駿らしくない作品だとは思わなかったのだろうか。

だが「千と千尋の神隠し」は大ヒットし、それをさらに煽る様に報道でも名作の評判が巷に流れていた。そうすると「難解で意味が解らない」は
「良く解らないけど面白い」「何度も観ると解ってくる奥の深い」作品に、「宮崎駿らしくない」は「宮崎駿の新境地」「まだまだ進化する宮崎駿」に評価が変化していくのだ。
こうなってしまうと批判的な意見は映画の良し悪しの解らない者の意見として排除されたり、言い出し難い状況になってしまったようにおもうのだ。まさに「裸の王様」の世界ではないだろうか。

逆に、今回はそういった非難も情報がないので素直に聞ける意見であるし、自由にそれぞれが感じたことを表現出来る状況となっている。
そう考えれば、それこそが今回宣伝しなかったスタジオジブリの最大の成果ではなかったかと思うのである。