デンキ屋の独語(ひとりがたり)

本業電気屋。趣味や関心のある事についてのひとり語り。あくまで個人の想いであり批評や批判ではありません。

雑誌「週刊少年サンデー」を語る(1)

70年代後半~80年代前半の少年誌の変遷

今回は週間少年漫画雑誌という大雑把な括りだが、私の漫画に対する個人的な想いと共に語りたい。尚、文中の漫画家の先生方の敬称は勝手ながら省略させていただいた。

私の週刊少年サンデーとの付き合いは非常に長い。
確か買い始めたのは高校位からで、大体1981年頃からとなる。
途中何度か間の空いた時期はあったものの、今でも毎週買っているのでかれこれ40年の付き合いと言う事になる。

買い始めたのは「うる星やつら」(高橋留美子)「ダッシュ勝平」(六田登)が「アニメ化され、「タッチ」(あだち充)の連載が始まった頃だ。
その後も「ふたり鷹」(新谷かおる)、「機動警察パトレイバー」(ゆうきまさみ)「ちょっとヨロシク」(吉田聡)等、実力のある作家陣が続々登場し、全体的なレベルの高さと安定感がある雑誌であった。特にこの80~90年代は最も連載陣が充実していた頃ではないかと思う。

「週間少年サンデー」と言えば他誌に比べて性描写やヤンキー系、グロ表現のある漫画は極端に少なく、とにかく健全で上品、安心して読める少年誌、という印象が強い。

勿論、昔からずっと健全だった訳ではないが、当時の少年誌は皆似たようなものだった。

私が少年誌を本格的に読み始める直前の70年代、特にその前半はそれ以前の荒れていた時代背景の名残でエロ、グロ、ナンセンスが流行していた時代で、どの少年誌も暴行、虐待、そして殺人といった荒んだ内容の作品やホラー系作品が多かった。
その頃はたまに親戚のお兄さんに読ませてもらっていた程度だったが、普段読んでいた低年齢層向け漫画とはあまりにも違う内容に気持ちが悪くなった記憶がある。
「漫画は不良の読むもの」と言われるのも仕方の無い状況であったのだ。

70年代後半にはだいぶマイルドにはなっていたとはいえ、その頃のサンデーの連載も「ダメおやじ」(古谷三敏)や「まことちゃん」(楳図かずお)のようなナンセンスギャグ作品は健在で、今では考えられないような残酷描写もごく普通に掲載されていた。

せっかくなので「ダメおやじ」について少し触れておこう。
「ダメおやじ」は古谷三敏出世作であり、代表作のひとつである。
ただ、人気絶頂の頃の「ダメおやじ」は他の作品に見られるようなほのぼのとした現在の作風からは想像もつかない残酷描写のあるギャグ漫画だった。
何をやっても失敗ばかりの「ダメおやじ」をオニババ(その奥さん)や子供がよってたかって虐待する、といったとんでもない内容であるが、全く読んだことの無かった私ですらその名前を知っていた位有名なキャラクターである。
ほぼ同時期に少年チャンピオンで連載した「手っちゃん」では同じナンセンスギャグではあってもほのぼのとした雰囲気だったので、初期の作品とはいえ他の代表作と比べてもかなり異質な作品であったと言えよう。
私が作品として初めて読んだのは実は本編ではなく小学館学年誌(小学三年生か四年生だったと思う)でそのスピンオフ作品で息子のタコ坊が主人公の「ダメおやじとタコ坊」だった。記憶に残っていたのは息子のタコ坊が男の子ながらスヌーピーのぬいぐるみを欲しがり(一応本人も葛藤していたが、結局、欲しいものは欲しいと割り切った)、最初は男の子向けではないと反対していたダメおやじとオニババだが、結局それを買い与えるという内容だった。
最後のコマがタコ坊がスヌーピーを抱きしめる背後で両親が「おんな !オンナ!」と囃子立て、当のタコ坊は「女でもいいもん」と開き直る、というなんともシュールな絵面であるが、内容はともかくほのぼのとした雰囲気であったのは確かだ。
その後、サンデーで本編を読む機会があったのだが、そのタコ坊がオニババと共にバットや包丁でダメおやじをボコボコにする、というシーンを見てそのギャップに愕然としたのを憶えている。

そんな「ダメおやじ」も私がサンデーを本格的に読み始めた頃まだ連載中だったのも驚いたが、その頃には既にほのぼの路線に切り替わっており、あまりの変貌ぶりに更に驚いたものである。

ただ、それ以前にこれもたまたま読んだサンデーで路線変更のきっかけの様なエピソードを読んだ記憶がある。
正直内容は憶えていないが、ダメおやじが働き過ぎで大病を患い、その原因を知ったオニババが嘆き悲しんで心を入れ替えて優しくなる、というものだ。オニババと言えば「ダメおやじ」において恐怖と嫌悪の象徴だったので、その変化はその後の路線変更を匂わせるものだった。そしてその残酷描写が大嫌いであった私にとってその展開に心底ホッとさせてくれるエピソードだったのである。
ある意味「ダメおやじ」は少年サンデーの方向性をもっとも明快な形で表現した象徴的な作品だったのではないだろうか。

80年代はどの少年誌も健全化に向け試行錯誤しながら変化していった時期だったように思う。ナンセンスギャグやホラー漫画は徐々に数を減らし、残酷描写や過激な暴力シーンも無くなりこそしなかったが、ストーリー上必要な程度には抑えられるようにはなっていった。まあ「北斗の拳」(原哲夫)の様な作品もあるが、これは如何にもな悪者だけが細切れになるというシリアスとギャグが絶妙にバランスの取れた稀有な例と言っても良いだろう。
各少年誌はその方向性による個性がはっきりと出始め、差別化を図っていた頃ではなかっただろうか。
「週間少年ジャンプ」はより少年向けに、「週間少年マガジン」はより男子高校生向けに、そして「週間少年サンデー」は高校生向けではあるが女性でも読めるいわば中性的な雑誌へと変わっていったのである。

その路線変更に大きく貢献したのがあだち充高橋留美子両巨塔の登場であろう。

あだち充はシンプルな線とソフトなタッチ、そして圧倒的な画力を駆使しながら繊細な情景描写と独特の間で男性作家らしからぬ透明感のある世界観を表現した。
高橋留美子は逆に女性作家らしからぬしっかりとしたタッチで少年漫画を描きながら、それでもどことなく漂う女性の雰囲気が不思議な世界観を作り出していた。

両者に共通しているのは性描写や残酷描写の圧倒的な少なさ、そして全体に感じられる爽やかなイメージだ。
どちらもお色気シーンはむしろ積極的に描かれている。だがあだち充はパンチラや着替えシーンは多いものの、さらりと見せる事で男性作家特有の煩悩は感じられず、アイキャッチ程度の効果に留めている。高橋留美子は女性だから逆に抵抗がないのか、胸の露出やキスシーンは意外にあるものの、これもまた煩悩が感じられないので何処か健康的なお色気にとどまっている。
残酷描写にいたってはどちらも血を流すシーンすら皆無と言って良い。せいぜい軽く鼻血を出す程度である。
そしてどちらもアプローチの仕方は全く違うが、体裁は少年漫画でありながらそれまでのどことなく汗臭い少年漫画とも、線の細い目のキラキラした少女漫画とも違う、中性的で清潔感のある漫画を生み出したのである。

当時は少年漫画雑誌らしい連載陣の中にあって、中性的なふたりの作品は異彩を放っていた。
が、徐々に彼等に引っ張られるように中性的な作品が増えていったのである。

勘違いしてはいけないのは、ふたりの作品が全く新しい漫画のスタイルでは無い、ということだ。
その元祖と言えるのは勿論手塚治虫であろう。全盛期の少年漫画を描いていたころの手塚治虫はまさにシンプルで力強いタッチでありながら、宝塚で培った女性の繊細な表情や心理描写も描き出していた。キャラクターもヒゲオヤジ等の男性キャラはともかく、主人公である少年、少女達は実に中性的な魅力に溢れていたものだ。勿論、私もその頃の手塚治虫作品を読むのはもっと後になるのだが、その時改めて手塚治虫の凄さを思い知らされるのだ。

70年代は先に挙げたエログロの時代であると同時に、いわゆる劇画全盛の時代でもあり、リアルな画風とハードなストーリーが主流であった。劇画の主な読者層と言えば大人の男性であり、そのためそれまでの少年漫画は幼稚なものとされ排除されていた頃でもある。
当然週間少年漫画雑誌もその影響を強く受け、そのため少年誌でありながら荒んだ内容のどこか中途半端にリアルな作品が多かったのである。
あの手塚治虫ですらそれに合わせて作風の変化を余儀なくされ、ファンタジーで中性的な作品は影を潜めていた。(それでも「ブラックジャック」や「三つ目がとおる」等の新境地を開いたのは流石漫画の神様であるが)

70年代後半になって主な読者層となる我々の世代は、生まれた頃から漫画やアニメが周りにあった。
特に漫画は小学館や学研の学習雑誌に掲載されていたものが中心である。
そこには純粋に子供向けの、大御所漫画家による良質な漫画があった。
皮肉な事に、劇画全盛で週間少年誌から活躍の場を追われた大物漫画家達の作品に囲まれて我々は育ったのである。
そんな私が最初に週間少年誌を読み始めたのは小学4年位だったが、当初はその過激で刺激的な内容に大人っぽさを感じて惹かれていた時期があったのも事実だ。
だが、荒れた時代の名残の様な作品は私にはどこか馴染まなかったのかもしれない。小学生を卒業する'77年頃には少年誌に飽きてあまり漫画を読まなくなっていた。少年漫画は私には泥臭く、少女漫画はまだ敷居が高かったのだ。

そこに登場したのが男女関係なく読める中性的な漫画家、つまりあだち充高橋留美子というわけである。両作家は中性的な雰囲気で原点回帰を果たすと同時に、そこに現代風のリアル感とほんの少しだけ背伸びした少年少女の大人びた空気を盛り込む事に成功したのである。
女性も読める内容になった事で、読者層の幅が広がり、より健全なイメージと共にまた別の副産物を生むことになるのだ。
低俗と蔑まれ、子供向けと揶揄されていた漫画はこの頃になってようやく本当の意味での市民権を得たと私は思うのだ。