デンキ屋の独語(ひとりがたり)

本業電気屋。趣味や関心のある事についてのひとり語り。あくまで個人の想いであり批評や批判ではありません。

「竜とそばかすの姫」細田守作品の不思議(1)

少し長い前振り、凄いが評価が難しい細田守作品の不思議

私は余程細田守監督作品と縁がないのか、今回の「竜とそばかすの姫」と「バケモノの子」以外は劇場で観る機会がなかった。

時をかける少女」も、「サマーウォーズ」も「おおかみこどもの雨と雪」もテレビでの放送で観たのみで、しかも冒頭を見逃していたり、後半を観れなかったりと通しで見る機会がなかなか無かったのだ。

初めて「時をかける少女」を観た時の衝撃は実に大きかった(それも冒頭部分を見逃して途中からだったのだが)。

写実的で美しい手描きの風景や当時としては珍しかったCGの背景に、細田守作品の特徴である敢えて陰影を付けないペラッとした人物を重ねた独特の世界観や、その薄っぺらい人物の非常になめらかでリアルな動かし方、そうかと思えば不自然なループや動かない画といった現実離れした表現をわざと使ってみせるアニメならではの映像の面白さがふんだんに取り入れられており、細田守監督の物凄い才能と魅力を充分に感じさせてくれた。

ただ、映画全体の評価ということになるとなぜか正直今ひとつ、というのが私の個人的な印象だった。

何故、そう感じたのかその時はわからなかったが、そのアニメ作品らしい明るい絵柄や動きの面白さで見せるセンスの良さで観ている時は物凄く面白いと思って見入ってしまうのに、観終わった後に「ああ、面白かった」とはならず、なんとなくもやっとした気持ちになったのが引っ掛かっていたのである。

その後も「サマーウォーズ」や「おおかみこどもの雨と雪」が封切られた時も劇場に足が向かなかった。
まあ「サマーウォーズ」に関してはやっぱり劇場で観ておけば良かったなあと少し後悔はしたものだが。

そうして「おおかみこどもの雨と雪」「バケモノの子」と観たところで細田守作品全体の印象がやはり観終わった時に何かスッキリとしない印象だけが残ることに気が付く。

その事についてはまた次回に語るが、今回はもうひとつ気になっていた細田守監督の商売上手とは言い難い部分、宣伝の仕方について少し触れておきたい。

商売上手とは言い難い細田守作品の第一印象

そもそも、私は何故最初に劇場に足が向かなかったのだろうか。
そう考えてみた時に気が付くのが最初に人を呼び込む為のアピールが足りなかった点だ。

まずはタイトル。
初期の「時をかける少女」から「サマーウォーズ」「バケモノの子」と、私にはどのタイトルも聞いただけで引っ掛かる言葉の強さや面白さを連想させる魅力に欠けていると感じていた。(唯一「おおかみこどもの雨と雪」だけは語呂は今ひとつだがタイトルとしては良かった様に思う)

例えば最初の「時をかける少女」では、このタイトルだけ聞けば昔の実写版のイメージが強すぎてなぜ今頃アニメでリメイク?といった有名過ぎるタイトルが逆に足を引っ張る結果になっていた。

サマーウォーズ」に至っては勿論「スターウォーズ」の韻を踏んでいて新鮮味に欠ける上、やたら軽薄な印象だけが先行していた感がある。作品の内容が全く想像できないのだ。

「バケモノの子」もタイトルとしてはかなり弱い。
やはり内容が見えてこないし、選択された言葉のどこにも引っ掛かりを感じなかった。
それどころか実際に作品を観た時にどこが「バケモノの子」なのか解らず、タイトルの付け方に疑問を感じたくらいだ。

サマーウォーズ」にしろ、「バケモノの子」にしろ、作品を実際に観れば充分に面白いのに逆にタイトルがつまらなそうに感じたのは実に勿体ないと思ったものだ。

その点では宮崎駿作品のタイトルは秀逸なものが多い。「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「紅の豚」と、主人公や重要なキーワードを使い、想像力を掻き立てる字面の美しさもあったと思うのだ。

そう言えば新海誠作品もタイトルに関してはあまり上手いとは言い難く、しかも傾向は細田守監督と近い。
初期の「秒速5センチメートル」や「言の葉の庭」等、意味は解らなくともどこか引っ掛かりのある詩的なタイトルではあった。
だがメジャー監督になるきっかけとなった「君の名は。」はタイトルとしてはけっして良いとは言えない。
先の例で挙げた「時をかける少女」と全く同じ轍を踏んでいるし、実際どこか古臭い印象を与えるのは確かなのだ。
ただ、最後に「。」を付け足す事で何か違うのか?という引っ掛かりをつける事に辛うじては成功している様に思う。

どちらにしろタイトルで損はしてるとは思えるのだが、「君の名は。」については予告編の作り方が実に上手く、そこでのリカバリーが非常に大きかったと思うのだ。
予告編でこのタイトルの必然性がしっかりと強調出来ており、印象を良い方向に変える事に成功していたのだ。

続く「天気の子」もタイトル自体は実にありきたりだ。まあこれについては新海誠監督がメジャーになったからこそ使えたタイトルだとは言える。

監督が充分有名になり、監督の名前で客が呼べるようになればそれ以降のタイトルがどうであれ受け入れられる様になる事は間違い無い。
そういった意味では細田守作品も「バケモノの子」以降はそれ程の不利ではなくなった。

まだ「サマーウォーズ」の頃の作品は細田守監督も話題性はあるもののまだ全国区とは言いきれない頃だったので余計タイトルの影響が強くでていたと思うのだ。

昨今、ラノベや漫画では内容を説明するダラダラと長いタイトルが多くなった。
私自身はその事自体はあまり良い事だとは思わないが、確かに無名作家の作品の場合はある程度内容を想像しやすいタイトルの方が有利である。

まずは内容を観てもらう事が最優先であり、作品にとって最初のアピールであるタイトルの付け方は非常に重要な鍵となるのだ。
そういう意味では、変に小綺麗な言葉で曖昧なタイトルを付ける位ならまだ内容を想像できるダラダラとしたタイトルの方が余程優れていると思うのである。

細田守監督に限らず、まだ名の売れていない監督はタイトルに商業的な意味でももっと気を使って欲しいと思うのだ。
芸術的な、詩的なタイトルは有名になってからでも遅くは無いと思うのである。

ちなみに、今回の「竜とそばかすの姫」も、タイトルとしては美しいとは言えないし、ジブリやディズニーに寄せた感は否めない。
だが内容を想像しやすいという意味ではまずまずのタイトルだったのではないかとは思うのだ。
まあ細田守監督は既にメジャーであるのだから逆にもう少し詩的なタイトルでも良かったとは思うのだが。


次に宣伝。特にポスターや予告編だ。

時をかける少女」に関しては口コミから人気が出たこともあり、予告編やポスター自体見る事がなかったので殆ど印象に残ってないのだが、ポスターは象徴としての絵面としては悪くなかったとは思う(実際スタジオ地図のシンボルマークとなっている)
ただ、作品内容自体は掴みづらく、だからこそタイトルのイメージが余計印象を引っ張ってしまった感がある。

サマーウォーズ」「おおかみこどもの雨と雪」「バケモノの子」といずれも登場人物が立ち並ぶだけでこれも世界観が掴みにくい。

どれも明るいイメージで仕上げてあるが、作品によっては実際の内容やキャラの雰囲気とは異なるポスターもある。
けっして明るい作品ばかりではなく、重いテーマの作品もあるのに何故どの作品も代わり映えしない内容に見せる必要があったのか甚だ疑問だ。

勿論、それでも見ただけで面白そうな雰囲気が出せれば問題ないのだが、ただの登場人物紹介だけでは正直そこまでのインパクトには欠けていたと思うのだ。

それぞれの作品について予備知識のない状態で予告編を観た時に感じたのは、映像そのものの美しさと迫力は素晴らしかったのに、それ故余計に感じてしまったそこに流れる声の演技の違和感だ。

大変申し訳無いが声優さん達が不慣れなのは明らかで、映像と音の不協和音がせっかくの世界観を壊してしまい、その魅力と期待感を半減させてしまったのである。

作品を観に行くかどうかを判断する重要な予告編でこの影響は大きい。

その傾向はジブリ作品の頃から感じていたが、そこは宮崎駿のネームバリューでどうにかなっていたに過ぎず、当時まだメジャーとは言い切れない頃の細田守作品としては致命的なマイナス要因だったのではないだろうか。

昔からアニメ映画では声優では無い有名人がゲストとして参加する事はままあった。
ただ、それでも声優としても素晴らしい実力を発揮しており、聞かされなければ気付かぬ程の出来栄えだったことも多かった。

古い話だが「幻魔大戦」(1983)に参加した美輪明宏の声の迫力は見事としか言いようが無く、凄い声優さんがいるなぁと思ってパンフを見たら本職では無かった事に驚いたものである。

となりのトトロ」で、周りは皆上手いのに1人だけ聞くに耐えない声の演技に興醒めしたものだが、それ以降も度々声の違和感を感じる事は増えていった。

有名なタレントや俳優がスポンサーのご意向なのか話題性を集めるためなのか声優にチャレンジ、という流れはある程度仕方の無い事とは言え、それがゲスト声優ではなく本編に係る役を担わせてしまうのはあまりにもリスキーである。

俳優なら演技力もあるし大丈夫だろうと思うのかもしれないが、例え実力のある俳優でも表情等の他の表現が使えない声優の演技や声の出し方は畑違いだ。
それに演技そのものは上手くても、そもそも声優には向かない籠もった声質の人もいる。

逆に、俳優に限らず芸人やタレントでも違和感を感じさせない見事な演技を出来る人はいるし、たとえあまり上手くなくとも本職の声優には出せない独特の雰囲気や間を感じさせる事もあるだろう。
先の「となりのトトロ」の例で言えば、上手いか下手かは別にしてこれ程声が印象に残っているのはそれこそあの独特の雰囲気があったからであり、そこが宮崎駿監督の思惑通りだったのかも知れない。

だから私は別にこの傾向を全面否定している訳ではないのだ。

ただ、最近のあまりに本職の声優を軽んじる様な傾向には嫌悪感を感じるし、逆に最近多い声の演技以外にばかり力を入れている本職の声優達にはこの状況にもっと危機感を感じて欲しいのだ。

単純に話題性だけではなく、きちんと実力を把握した上で作品の方向性やクオリティに沿った人選に監督達にはもっと拘って欲しいと思うのである。

残念ながら、これまでの細田守作品の場合は作品の質にプラスになっている例はあまり多くないと思っている。いや、正直なところを言えばむしろ足を引っ張っていた例が多い。

今回の「竜とそばかすの姫」の予告編では映像や世界観の魅力は勿論、歌や音楽で押しきったお陰でインパクトは充分あり、しかも今回はセリフがなかったのでそういった違和感は感じられなかった。

もっとも今回に関しては、主人公である竜とベルについては配役は上手くいっていたと思う。
勿論本職のような上手さを求めるのは酷だとしても、やはりあの圧倒的な歌唱力は必須の条件であったし、雰囲気は良く出せていたのではないかと思うのだ。

やはり作品全体における声の違和感はあり、マイナス要因となる傾向は変わらないのだが、メインが合っていたのは本当に救いだったと思うのである。