デンキ屋の独語(ひとりがたり)

本業電気屋。趣味や関心のある事についてのひとり語り。あくまで個人の想いであり批評や批判ではありません。

映画「メイド イン アビス 深き魂の黎明」を語る(2)

ナナチの登場により更に深まる心情描写

TVシリーズの終盤に登場するナナチはアビス深層の影響で獣人のような異形と化した少女である。
彼女は見た目こそ異形だが、アビス深層の知識を持ち、無鉄砲な主人公達の旅にようやく計画性と道程をもたらす重要キャラとなる。
また、変人だらけの登場人物の中では数少ない常識人であり、謎の多いレグや悩む事の無い能天気なリコでは決して描く事の出来ない深い心情描写を加えたのである。
彼女の初登場からのエピソードはまさに涙なくしては見る事のできない屈指の出来だと言えよう。

毒に侵されたリコの治療の間に、ナナチはレグに自分と同じく異形と化した友人を殺してやってくれと頼む。
最早知性も感じられず、切り刻んでも死ねない肉塊となってしまった友人を殺す事ができるのはレグだけであると頼むのだ。

私は人の死を扱った話は大嫌いである。

どんな形であれ、それは涙を誘う鉄板の話であり、そうそう簡単に扱うべきテーマではないと私は思うのだ。
逆にそれは下手をすればお涙頂戴のあざとい話にもなりやすく、安っぽく感じてしまう場合も実に多い。
ましてや最近ではいわゆる鬱アニメと言われる様な残虐で人の命があまりに軽い扱われ方をしてしまう作品も多いため、その手の話にはどうしても拒否反応が出てしまうのだ。

ところがこのエピソードは私の否定を覆してしまった。

原型を留めていないとはいえ、人を自分の手で殺してしまう事に逡巡するレグと、友人との思い出を丁寧に描きながら、覚悟を決めてもなお、ぎりぎりまで葛藤し涙を流すナナチ。
この二人の描写は自然の中では簡単に失われる命ではあるものの、だからといって決して軽く扱ってはいけないものであるということを実に丁寧に描いている。だからこそナナチの慟哭が素直に魂に響く話となるのである。

そしてこのエピソードから映画へと繋がっていく。

勿論原作を読んでいない私はなんの予備知識もなくこの映画を観たのだが、TVシリーズでもこれだけ主人公達に容赦ないのに、ましてやR15指定という事を考えればどれだけ過酷な内容になるかというのは容易に想像出来た。

正直、ここまで残酷な描写が必要なのか?と思うシーンはままある。

ナナチを異形にしてしまった元凶でもあり、深層に行く為の最大の宿敵ボンドルトと、その娘と名乗るプルシュカ。

TVでのナナチのエピソードでは意味の解らない実験の為に子供達を犠牲にし、得体の知れない悪の存在として描かれるボンドルトだが、序盤では紳士的でプルシュカの良き父として描かれる。
勿論、非情な研究者としての本性を現してレグを解体しようとしたり、プルシュカも結果としてはまさに道具として利用してしまうのだが、その行動も彼はそれを愛だと言い放つのである。

アビスの深層に進む為に自分の体すらも、更に遺伝子を分けた子すらも部品として犠牲にしてしまう執念。

過去にも似た様な非道な悪役の登場する物語はあったし、逆に内容としてはありがちで予想通りの展開ですらある。
だが、この物語では普通のアニメや漫画であればサラッと流しがちな残酷シーンを、敢えてシルエットや想像力にまかせる事無く、しっかりと細かく描写してしまうのである。
実際、嫌悪感を抱く観客も多かったであろう。一歩間違えば残酷な鬱アニメのレッテルを貼られてしまうだけで終わってしまうかもしれない。
だが、このシーンがあるからこそボンドルトというキャラに対して観客は憎悪し、人を殺す事に抵抗のあるレグ達が命を賭けて戦うシーンに説得力を持たせるのである。
しかも、この物語が本当に凄いのは、これ程の残虐非道を平気で行っているのにも関わらず、ボンドルトは最後まで悪役としては描かれていないのだ。
そこには、ただ純粋にアビスに取り憑かれ、その目的の為には他の犠牲などまるで頓着しないという、リコと全く同類の男として描かれているのである。

そしてそれはプルシュカとの関係性についても細かく描かれていく。

プルシュカは最後の最後まで父であるボンドルトを信じ、リコやレグ、ナナチらと共に冒険の旅に出る事を夢見る。
そしてそこには、彼らと共に歩むボンドルトの姿もあるのだ。

それは自分を愛してくれる父の姿であり、その愛情を信じて疑わないプルシュカの切ない夢である。

シーンの途中に挟むワンカットの間が絶妙な、なんとも言えない切ないシーンであった。

基地内という限られた空間の中で唯一自分の頼れる相手であり、そして自分に愛情を注いでくれる存在を父として慕うのは当然であろう。そして相手の思惑がどうであれ、その愛情を信じ、仮に裏切られた事を知ってもなお信じることをやめないのだ。

うがった見方をすればこれは刷り込みであり、洗脳である。

だが、たとえそうであったとしても、プルシュカにとってはボンドルトの愛情は真実のそれであり、またボンドルトの言動からは真意はしれないが、彼にとってもその愛情そのものは真実のものであると信じたい。

全体にはTVシリーズのワンエピソードであり、アビスそのものの描写も必要最低限の為に設定や世界観が判りにくい。そのためボンドルトとの攻防も何故その攻撃が有効なのか、そもそもボンドルトとナナチの関係性が解らないとストーリーもよく解らない部分もあるので、映画単体としての評価は低いであろう。
TVシリーズからの続きで観ることで残酷な部分の必要性や腑に落ちるシーンもあるので、この映画が正当に評価されないのは実に残念である。
逆に、TVシリーズの続編が決定したらしいが、このエピソードはシリーズの流れ上省略できる話ではないのでこの扱いがどうなるか気になる所ではある。
この映画がTVで放送されることになるのであろうが、カットされる部分があるのは間違いない。それが話全体のバランスを壊さないように上手くやってくれる事を祈るばかりである。